『自由には責任が伴う』って言質にもやもやするので考えてみた
2020年1月11日に書いた時は結論が出ないままでした。
最近、自分の中で決着がついたので最後に追記して再投稿します。
本日の投稿、結論は出ていません。
しかも話があちこち飛びます。
よく耳にする『自由には責任が伴う』という言葉はフロイト発祥のようです。
『ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。なぜなら自由には責任が伴うからである。みんな責任を負うことを恐れているのだ。』ジークムント・フロイト
"Most people do not really want freedom, because freedom involves responsibility, and most people are frightened of responsibility."
私、『自由には責任が伴う』が、どうしても腑に落ちなくて、そして何だか窮屈に感じます。
もちろん、解釈は人によって違うと思います。言葉の宿命です。
そもそも誰にでも責任は伴うわけで。
人間は、少なくとも自分に対しての責任はあるんじゃないかな。
自分を無視せず、きちんと向き合い自分の言い分を聞いてあげる。自分の心地よさを追求する。
つまりは自分を大切にする責任があるってこと。
私の意見ですよ。
話しを戻します。
「自由には責任が伴う」を聞いた時の私は、辞書にもあるとおり「責任」とは、
負わなければならない任務や義務
法律上の制裁を負わされること
と感じるんです。
でも、responsibilityの語源は、respondere(レスポンデレ) というラテン語で、意味は「応答する」。
自分の意志を忠実に反映した自由な行為というイメージと結びついているんだそうです。
こう言ってもらえると俄然自由度が増します。
そして、仏教用語で自由は「自(おのず)からに由(よ)る」という意味で、本当の自由の境地というのは 自分を拠り所とすること。
すなわち自分の中にある「本当の自分」を軸にすることなんだそうです。
採用!
だとしたら、自由ってやっぱり素晴らしい。
ちょっと話がそれますが、
私は、人を犠牲にしてまで我を通すのは、「本当の自分」の意思ではないと思っています。
わがまま放題の人は、本当の自分が隠れて見えない状態だと感じます。なので自分と向き合った方がいいと思っています。
かと言って、自分を犠牲にすればいいってもんでもないけど。
閑話休題。
それと、西洋では「自由」と「権利」は、ほぼ同義という意見もありました。つまりは、選ぶ権利があることが「自由」ということになります。
これを当てはめて解釈すると、「自由には責任が伴う」は「選択した結果に自分で責任を取らないといけない」ということになります。
これならまぁ納得できます。
ただし、結果が良くなくても自分を責める必要はないけどね。
そして、責任の取り方も人それぞれだと思います。
ここまで書いてきたら、どうでも良くなってきました(笑)
フロイトが言ったからって、それが真実がどうかもわからないし。
私がもやもやしていたのは、自分で不自由だと感じている人が、自由そうにしている人に「自由には責任が伴う」と、大上段に構えて言い放つことに対してだと気づきました。
これは、「ある人がある人に“自由には責任が伴う”と言った」という事実に対する私の勝手な解釈ですけど。
「大上段に構えて」なんて最たる解釈。
ええと、
言葉にも事実にも全て個人の勝手な解釈がつくということがお分かりいただければ幸いです。
そもそも、こんな哲学的な問題を私がブログで語ろうってのが間違っていました。すみませんでした。
私が言えるのは、人の言葉に囚われて新しい一歩を踏み出せないのはもったいないということです。
≪2021年11月14日追記≫
私が「自由には責任が伴う」という言葉にもやもやしていたのは、人の権利を侵害するときによく使われる表現だからということがわかりました。
実は最近、自民党の改憲草案(国民の責務)第十二条を読んでいて、さらにこの言質への不信感が大きくなったんです。
引用します。
日本国憲法(国民の責務)第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
全文はこちらから見られます⇒自民党 憲法改正推進本部
ということで、ここは結論を出しておきべきだろうと、再度調べてみました。(考えるんじゃなくて調べるんかい)
そうしたら、考察の過程から結論まで、素晴らしい記事を見つけました。
腑に落ちた感があります。
筆者の方は、どうやら生物学者のようです。
その記事がこちら⇒自由・権利には責任・義務が伴うという命題について
まず、冒頭ですぐに納得です。
引用します。
昔から「自由・権利には責任・義務が伴う」という言い方が好きではなかった。人の権利を侵害するときによく使われる言い方だからである。
結論をご紹介します。
以上のように、「自由があるなら責任がある」=「自由には責任を伴う」という命題は偽であることがわかった。
--中略--
自由と責任を一緒に語るのがそもそも間違い、というのが現時点で私が辿り着いた結論だ。
私がもやもやしていたのは、権利を侵害される危険性があったからなんですね。
自由と責任を一緒に語るのが間違いにも納得です。
「自由には責任が伴う」と聞くたびに、「意味がわからない。それは私がバカだから?」と思っていたんですよ。
そもそも一緒にしてはいけないものだったんですね。
色んな意見があるとは思いますが、私はこの方のご意見を採用します。
ああ、すっきりした。
ん?
てことは改憲草案は?
ん?
あなたの心と体の調整をお手伝いする
心理セラピスト 長沼美恵(ながぬまみえ)
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