「何もしなくていい」という言葉を額面通り受け取るとまずいです。だぶん。

「何もしなくていい」という言葉、時々耳にします。他には「ありのままの自分でいい」なども。特にスピリチュアル界隈?で。



確かにそうです。

だからと言って、行動しなくていい、努力しなくていい、頑張らなくていいとはちょっと違うんです。



「ありのままの自分」だって、やりたいことはある。というか、「ありのままの自分」全開の方が、本当にやりたいことを素直にやっていると思います。

だから、行動こそすれ、自分では努力しているつもりも頑張っている感覚もないと思います。







では、「何もしなくていい」の真意とは何か?

正解はわかりませんが、私なりの考えを書きますね。正解なんてないかもしれませんけど。



以前書いたこちら↓の記事にそのヒントが隠されていると思います。

>>ダメな自分を受け入れたらハンパない安心感があったよ

エゴが崩壊してサレンダー(降伏、降参)もどきを体験した時のことについて書きました。



ありのままの自分が垣間見えた時に、ハンパない安心感を感じるとともに、不安に押しつぶされそうになっている幼い頃の自分がイメージで見えました。

リンクの記事には書きませんでしたが、その直後に、「自分は余計なことばかりしてきたな~」と感じたんです。「何もする必要はなかったのに」と。

足す必要も引く必要も全くなかったという感覚。






その余計なこととは、

ずーっと安心感と共にいたのに、しかも何か起きたわけでもないのに、勝手に不安になって勝手にそれを取り除こう、もしくは武装しようと躍起になっていたという感じ。

私って、無駄なことばかり考えているんだと痛感しました。無駄な抵抗、エネルギーの無駄遣い。



私の感覚では、「余計なこと=無駄な思考」です。

覚者ムージーの言葉「思考の99%はゴミ。そして残りの1%もゴミ」のとおりかも。

だったら、「余計なこと=思考」とも言えますね。



ということで、「何もしなくていい」は、今のところ「思考や感情に抵抗しなくていい」がしっくりくるかな。

なので、決して、動かなくていいという意味ではありません。ましてや、怠惰になれという意味でも、もちろんありません。時にはさぼることも必要ですが。



人間は、「過去を悔やんで未来を憂う」のが初期設定されていると思えるくらい普通のことですが、これは全く不要ということです。

心配ご無用。今ここに安心感がありますから。


と、言葉にはできますが、あのサレンダーもどきの出来事は一瞬のことだったので、今となってはあの安心感が懐かしいです(笑)




エネルギーの無駄遣いをしていた2012年の私@ニュージーランドにある妹が住んでいる家。

だからか、今より5㎏痩せていました(笑)。顔も険しい。





今でもがっつり不安になることも多々あります。いや、さすがに”がっつり”はないか。

いずれにしても、負の感情は普通に湧きます。それが人間らしくていいじゃないですかね。不安はあって当たり前のような気がします。でも、確実に安心感は増えています。

そして、安心感はサレンダーや一瞥体験がなくても増やせますので。 

 


あれ?何の話しでしたっけ?

そうそう、「何もしなくていい」は言葉通り受け取ると危険ってことでした。

3次元の世界では、行動してなんぼのところがありますからね。

ただし、エゴの言うとおりに行動するのも危険をはらんでいます。ここは一筋縄ではいかないところ。



結局、自分と向き合ってハラ(潜在意識)の声を聴きましょう的な話しになってしまうな。

でも、本当に自分を知るところから始まるんです。



今現在の私の考えは以上です。



長沼美恵