気に障ることを言われたら、言った人を怨んじゃう?

ブッダの教えを集めた『ブッダの真理のことば・感興のことば』(中村元訳/岩波書店)を読み始めました。

こちら、パーリ語から直接日本語に訳したのでお勧めとのことでした。
間に中国語訳などが入っていないので、意味がよりダイレクトに伝わってくるようです。


1ページ目から射抜かれてます。刺さる。

心理セラピストという立場からご紹介するならこちらの言葉。

「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息む(やむ)ことがない。



「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」と、明らかに人のせいにしてますよね。

被害者意識ですね。


他者の言動によって自分の内面の地雷(価値観、信念)が刺激され、感情が湧くというメカニズムがあります。

怒りなら、その矛先はその相手に向きますね。
自分に原因があるにもかかわらず、他人のせいにしてしまっている状態。

そんな状態のままでは、心の平安は得られにくいかと思います。


なので、他人は置いといて、自分の地雷を見つけて対処した方が、より幸せな人生になっていくと思います。
症状をなくすのではなく、原因を見つけないと。



かく言う私も他人のせいにすることはありますよ。


特に両親に対しての怒りの感情は根強くあるので、「またお父さんはそんな酷いこと言って。ぷんぷん」というように。
こんなに自分を見つめてきても、まだそんな状態なのかとガックリ来るくらい。


例えば、私の中に「頭が良いことは善」という価値観があるとします。
実際あると思います。

善なので、実際そうかどうかは別として、頭が良く見られたいと無意識に思っています。
裏を返せば、頭が悪いことは悪になりますね。

なので、「おまえはバカだ」と言われると、自分が全否定されたような気持ちになり、とうてい受け流せるわけもなく、怒りや悲しみの感情が湧きます。
(子供に向かってバカという親にも問題はありますが)


従って、感情は自分の不要な価値観や信念を見つけるためには、ありがたい存在なんです。

だからと言って、この価値観を持っている自分を排除するわけではありません。
仲良く一致団結できれば理想的かなと、現段階ではそう考えています。



ごく稀に100%相手が悪いこともあるかもしれません。


それでも、その出来事によって強い感情が出たり、その感情が長引くのであれば、自分の中の地雷が刺激されたと言えます。


人のせいにしている内は、「怨みはついに息む(やむ)ことがない」んですね。

ブッダの意見に大賛成です。(私ったら何様?)


長期的にこの心境でいたら、体にも悪影響が及ぶかもしれません。



しかし、この本読み終えるだろうかと不安になっています。
字が小さくて、ちょっと辛いんですよ。

もし購入されるのであれば、文庫本よりも大きいサイズのものがあるらしいので、そちらをお勧めします。




心と体の調整で「自分と一致団結」をお手伝いする

心理セラピスト 長沼美恵(ながぬまみえ)