思考や感情は自分自身ではない

2021年1月11日の記事に若干手を加えて再投稿いたします。




自分や物事を俯瞰して見ることは、コトをスムーズに運んだり、自分のパフォーマンスを上げるためには重要です。

自分の思考や行動そのものを対象化して、それを客観的に認知している状態をを「メタ認知」と言います。世阿弥は、これを「離見の見」と言ったそう。意味は、goo国語辞書より引用します。
演者が、自分をはなれ観客の立場で自分の姿を見ること。自分の演技について客観的な視点をもつことをいう



メタ認知が身についていると、

「自分ができること、またはできないことは何か」
「今自分は何を考えているか。どう感じているか」

と、自分自身の状態を正しく理解することができますね。


ここが理解できてこそ、解決策を見い出して行動していくことが可能になる。
ということで、自分を俯瞰で観察することは大事。


とは言いつつ、私の場合、仕事に活かされているかは別問題。

ただ、思考を眺めるクセがついているから感情に飲み込まれることは少なくなってきたと思う。

いやまぁ、わかっていても怒りの感情が爆発することもあるんだけども。

そうなった後でも、
「私が今感じている怒りの感情は自分の中の何かに触れられたからだよね」
と、一応は、その感情から一歩引いて、そう考えることはしている。全面的に人のせいにはしない。(怒るべき時もあるけど)


後じゃなくて前にやれって話しだけどね(笑)
それは置いといて。



これを知らないと、自分の感情や思考と同化してしまうんですよね。
同化なので、これを自分だと思ってしまう。


すると、本当の自分じゃないものに翻弄されるってことになってしまうでしょうね。


だから、日頃から自分を俯瞰して客観的に見ることが大事なんです。



同化を外すためには、先述のとおり日頃から思考を眺めることをした方がいい。


それと感情に飲まれそうな時は、不安なら、「私は不安だ」ではなく「私は不安だと感じている」というように表現する。


さらに、感情を感じた時に体を探ってみて、例えば胸に感覚があるようなら、「胸の辺りに不安な感じがある」と思ってみることもおすすめです。


心理セラピーでは、自身の負の感情や感覚を否定するのではなく、それと仲良くなってもらうことも目的の一つと言えます。「自分と一致団結」ですね。

否定するから苦しみが増すんですよね。

意外と無意識に否定していることもあります。


私自身の話で恐縮ですが、パニック症のような症状が出ていた頃は、不安とがっつり同化しがちでしたが、今は不安になっても「私、今不安を感じているな」とドキドキしながらも自分を俯瞰できるようになりました。

俯瞰していると、いつの間にか不安が小さくなったりします。

この差は大きいと感じています。

怒りは瞬時に出るのでなかなかねぇ…。私の課題ですね。



このご時世、テレビを点ければ、「感染拡大」「ウイルスが猛威を振るっている」などの脅し文句とともに、恐怖心を煽るような声色のナレーションとBGMが耳に入ってきます。


-----そもそも陽性=感染ではないし、PCR検査開発者が感染症の判定にPCRは使うなと言ってたし。(開発者が一昨年に亡くなっているので、死人に口なしだけど)

怖いですか?この「怖い」と同化していると、感染対策も自粛もせず、呑気にしている人たちに怒りを感じて、攻撃したくなるかもしれませんね。



そうであれば、まずは「私は怖いと感じている」もしくは「**の辺りに怖い感じがある」を試してみてはいかがでしょうか。


それと、テレビや新聞などのマスメディアの情報を鵜呑みにせず、事実を知った方がいいです。

(死亡率は、実際には0.1%未満と言われています。持病で亡くなってもコロナで死亡したことにされているケースもあると聞きます。デマでも陰謀論でもなく事実です)


それでも怖いと感じる場合、ベースに占める怖れや不安の割合が大きいことも考えられるので、専門家にご相談された方がいい方もいらっしゃるかもしれません。


また、ご自分の死生観を見つめた方がいいのではないかと思います。
人間、誰しも必ず死ぬからね。どう生きるかを考えることはとても大切じゃない?


なんか、偉そうですみません。

でも、恐怖に支配されて生きるなんてもったいないと思うから、余計なお世話だと思いつつ、つい言いたくなってしまうんですよね。

だって、人生一度きりだし時間は有限だからね。


noteにこんなことを書きました。
死生観は心の状態の指標?




心と体の調整で「自分と一致団結」をお手伝いする
心理セラピスト 長沼美恵(ながぬまみえ)