本当の自分に触れると苦しみが剥がれて人生が楽になっていくと思います。

心と体を整えるお手伝いをしている長沼美恵です。


先日、父から

「本当の自分なんて誰にもわからない」

という言葉が出てきまして。


「自分には色んな顔があって、そのどれが本当の性格なのかは自分でもわからないよな」

と。うろ覚えだけども。


私が

「今の私たちは夢を見ているようなもので、本当は肉体としての自分ていないという話しがあるんだよ」

とぽろっと言った時のこと。

確か、バーチャルリアリティーについてのテレビ番組を見ていた時だと思います。


父のいうとおりではあります。

これが自分だなんて断言できるものは何もないと思います。


逆に、どれも自分と言えばそうだし。「自分という現象がある」とも言えるかな。

自分を演じているようなところもあると思います。



私は以前から「長沼美恵」を演じているんだという感覚が何となくあって、その感覚がより強くなったのは所謂サレンダーというものを経験したときからだと思います。


子供の頃から、空を見上げて

「私がわからないほど大きな存在が今のこの私の存在を見ているのかも…」

などと思っているようなところがありました。(みんなそうなのかな?)


そしてサレンダーした時に、「私はこの肉体じゃなくて、あっちだったんだ」と感じたんですよね。と同時に得も言われぬ安心感に包まれました。

この時の「あっち」は、空間というか全体というか…そんな感じでした。


また、その直後にこんな体験をしました。

以前ブログに書いたので引用します。


横隔膜が震える感覚とともに 体の中心から「うふふふふふ」という 笑いが起こってきました。
同時に 「この”長沼美恵”の身体で生きていくことが、これからすご~く楽しみ♪」という思いが湧いてきました。楽しくてワクワクする感じです。
その後、 その思いが肚に落ちていく感覚がありました。
「思い」と言っても、 私が考えたわけではありません。私の意思とは関係なく自然発生した感じです。




私が人生ゲームのコマとして「長沼美恵」を選んだという感じです。

だから何って感じでもありますが。


相変わらず、不安になってゾワゾワしますからね。

そのゾワゾワも「長沼美恵」さんは感じたいんだと思います。じゃないと、ゲームは盛り上がらないからね(笑)


ということで、本当の自分とは、肉体である「長沼美恵」の存在に気づいている意識なんだと思います。

私は「本来の自分」という言葉も使いますが。


これは、頭で理解しようとしても無理なので、こだわらなくていいと思っています。

じゃあ何で書いているのかというと、よくわかりません(笑)

しかも、以前は興味津々だった「非二元」とか「悟り」とか、今は興味ないのにね。


肉体の自分が全てだと思ってこだわり過ぎると辛くなるから、本当は安心の中にいると伝えたいのかもしれません。


そんなこと言っても、私は自分の肉体に執着していますけど。

どなたからかは存じませんが、お預かりした「コマ」につき、丁寧に扱わないといけないかなくらいは思っているので、これでいいのだと思います。




あなたの心と体の調整をお手伝いする

ゆんわりタッチとストレスクリア


長沼美恵(ながぬまみえ)