初日の出に期待し過ぎていた悲壮感たっぷりの自分を思い出しました。2019年初の投稿です。

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします



12月31日から1月3日まではブログを書かないという決意の下、年末年始を過ごしていました。

のんびりできているし読書もできています。


パニック障害の方におススメできる本を読んだので、後日改めてご紹介したいと思っています。 


この画像は、サロンから見えた2019年元旦の太陽です。


この太陽を見ながら思ったことがあります。



私、10年以上前までは初日の出を拝んでいました。 

と言っても、山まで遠征してということではなく、利根川の河原で。一応、日の出の時間に合わせて。



毎年変わり映えのしない冴えない満たされない人生を歩んでいると感じていた私は、初日の出を拝みながら、今年こそは何かいいことがやってきてほしい!という悲痛な叫びと共に願っていました。



願っていいんです、もちろん。

拝む目的は、年神様に昨年の感謝と、その年の豊作と幸せを祈願することだから。



でも、私の場合は悲痛過ぎた(笑)


今でこそ笑えるけど、

自分の力で人生の舵を取れるなんて思っていなかった私、幸せは自分の外側からやってくると思っていた私は、神秘的な力にもの凄く頼りたかったんです。



当時はそこまで自覚していませんでしたけどね。

いや、書いててびっくりした。私、自分で人生の舵を取れると思ってなかったんだ(笑)

確かに無意識にだけどそう思っていたと、今ならわかる。



悪い意味で他力本願。

(流れに任せて委ねるという意味では他力本願もいいけどね)   



      


初日の出を拝むことを批判しているわけではありません。

わざわざ日の出時間に合わせなくても、やっぱり感謝の気持ちは今でも伝えているし。


ただ、拝んでもいいけど自分で何も行動を起こさず、何かが起こることを過剰に期待するのは違うと思うわけです。

神頼みって、人事を尽くしてこそだと思っているので。


私ったら偉そうに。

これは、昔の自分に言っていることなのでお許しください。



今の自分が人事を尽くしているかどうかは棚に上げておきます。

でも、自分の人生を切り開くのは自分しかいないということは、至極当然のことだけど、今の私は知っています。


だからと言って、神秘的な力が世の中に何の影響も与えていないとは思っていません。



人事を尽くして天命を待つ



いいことわざだと思います。






ということで、今年もブログを書いていきます。


それと、今年はもっと深く考えることをやっていきたいと思っています。そして、それを手で紙に書く。最終的には行動に移す。


あえてここに表明します。



アインシュタインの言葉を残しておきます。


何もかも元のままにしておきながら、何かが変わると期待することほど愚かなことはない。




皆様にとって2019年が幸せで楽しい年になりますことを心よりお祈りいたします。



長沼美恵(ながぬまみえ)