「2018年の抱負は“ただ生きる”」by高田純次

1月に放送された「じゅん散歩」の再放送を見ていたら、タイトルの発言を目にしたので書かずにはいられなくなりました。



凄い人ですよね~、高田純次さん。

あのゆるさは見習うべきだと思っています。本気です。



とは言っても、気質や状況は人によるので、同じように振る舞うことはなかなかできないし、する必要もありません。でも、あのゆるさテキトーさは尊敬に値します。



街でファンに話しかけられて、別れ際に「これで何か美味しいものでも食べてね」と割り箸を渡したというエピソードが大好き。





「いい加減」「テキトー」と評されていますが、「良い加減」なんだと思います。

今年の抱負の「ただ生きる」も深い意味はなく、いい加減に言ったものなのかもしれません。



でも、人生の目的というか生きることとは「生きることを経験すること」だと思っている私には、とても響くんです。深い!と思っちゃうんです。

まだまだ頭で理解している程度ですけど。



そして、テレビ画面を通して見る高田純次さんは、変な深刻さがなくて軽やかで、あまり考えず一瞬一瞬を楽しんでいるように見えます。


いい意味で流されているというか、本当に「ただ生きている」ようにも見えます。力の抜け加減が絶妙です。

私の解釈ではね。



私は長女気質そのもので、融通が利かないというか遊びがないというか…。

そのことも生きづらさに拍車をかけていたと思っています。随分ラクになった今でも残骸はあります。

なので、高田純次さんのような人が心底羨ましいんです。





折に触れて思い出す言葉があります。


20代の頃、あまりにもガチガチで遊びのない私を見かねて、仕事でお世話になった方から言われました。

「長沼さん、あえて遅刻とかしてみた方がいいよ。で、遅刻の理由は、“ウィッキーさんに捕まっちゃって…”とかさ。そのくらい言えるようになった方がいいよ。余裕というか遊びが必要ということ。」と。


ウィッキーさんて誰?という方にご説明しますね。
ウィッキーさんは私の世代なら誰もが知っている、英語が堪能なスリランカ出身の男性です。
その昔、日本テレビ「ズームイン朝」の「ワンポイント英会話」に出演されていました。
このコーナーは、通勤、通学途中の人に、ウィッキーさんが英語でゲリラ的にインタビューするというものでした。



今考えると、感情や思考と同化していた自分が、その言葉によって一瞬同化が解けたんだと思います。自分を俯瞰で見られたと言った方がしっくりくるかも。

それと、「それくらい気楽になってもいいんだなぁ。でも難しいけど。」と思ったような気がします。


ありがたい言葉をいただいたと、今になってしみじみしています。



ここで少しご説明。

感情や思考と同化している=現実だと信じ込んでいる考えに囚われている状態

私の場合は、「私は無能だ」を信じ込んで囚われていました。

この“考え”は誰もが複数持っています。  



「無能」なので、それがばれないように常にガチガチに緊張しているし、いい加減にゆるく生きるなんて無能に見えるからできるわけもないし…という自分が作り出した物語(ストーリー)の中で生きていました。

生きづらいに決まってます。





今の私は、人は自分が作り出した物語の中で生きていると知っています。

「私、自分のこと無能って思っているのね」と自分の思考と距離を置いて、それを眺めることができます。時々、同化しますけどねぇ。



自分がどんな物語の中で生きているのかを知ることは、自分を深く理解するということに繋がります。

そして、理解すればするほど生きやすくなっていくはずです。



とうことは、自分への理解が深まっていくと、もしかしたら高田純次さんに近づけるのかもしれないと、ちょっとだけ期待しています。

実際、理解を深めた人はテキトーになっていってるしね。私を含め。



長沼美恵(ながぬまみえ)