映画「台北暮色」を見て、なぜか生きることの魔訶不思議を感じました。

高崎映画祭で「台北暮色」を見てきました。


「台北暮色」

監督・脚本  ホアン・シー

製作総指揮  ホウ・シャオシェン 

キャスト   リマ・ジタン/クー・ユールン/ホアン・ユエン

2017年/台湾/1時間47分


(C)3H Productions Ltd



大きなことは何も起こらないから何も解決しない映画。

何か起こり続けているけど何も解決しないと言った方がいいのかな。


「解決しない」は語弊があるか。

起こり続けていることを、ただただひたすら映像の中の人たちが経験し続けていると言えるかも。


まあ、途切れることのない経験の連続が人生なんだけど。


台北に住む3人の人生を、ほんの一部分切り取って見せてもらっているような映画。

みんな、つまづきながらも淡々と命を繋いでいる。無意識に。


何てことない日常の風景の連続。

でも、その映像は美しい。

丁寧に台北の風景を切り取っている。


何の説明もない。

起承転結もない。


そして、じんわりと余韻が残る。

そんな映画。


高崎城址公園の桜



口幅ったいけど、神様の目で見たら、人の営みってこういう風に見えるんだと感じました。

神様の目=監督の目になるんでしょうけど。それは人に対する温かさを湛えた目線なのかもしれません。


そしてなぜか「あれ?そう言えば、私ってなんで生き続けているんだろ」と不思議な感覚にもなりました。

取り立てて、生きる!という強い意志がなくても生きているということも不思議で。

生存本能と言えばそうなんだけど。


「強い意志がなくても生きているということは、やっぱり私たちは生かされてるのかもね」と感じさせてもらいました。


ということで、見る人によって感じ方に大きな違いが出そうな映画でした。

映画にカタルシスを求める人には向かないと思います。




あなたの心と体の調整をお手伝いする

ゆんわりタッチとストレスクリア


長沼美恵(ながぬまみえ)