その生きづらさ、境界線(バウンダリー)越えが関わっているかもしれません。

ニュージーランドに住む姪が、ティーンエイジャーになってからスカイプで私と話しをしてくれなくなりました。


以前は、日本に遊びに来ていてニュージーランドに帰国した直後などは特に、「毎日スカイプでおばちゃんと話しがしたい」と言ってくれるほど慕ってくれていたのに…。


今は、友達との付き合いが活発でとても楽しそうです。とてもおばちゃんになんか構っていられないでしょう。

これは成長の証として受け入れなければなりませんが、いささか寂しいです。



そこで、「寂しい」と姪に訴えて、姪に構ってもらうようになっても、一瞬その寂しさはなくなるかもしれませんが、根本解決にはなりません。

私はそのことを承知しているので、姪に「寂しいから構って」とは言いません。


「寂しいから構って」と相手に求めてしまうのは、自分の寂しさを武器に、私が姪をコントロールしようとしていることになります。


仮に姪が私の気持ちを知ったとして、「おばちゃんの寂しさを自分が埋めないといけない」と思うのは、私の感情のケアを姪がしようとしていることになります。


どちらも、他者との心の境界線(バウンダリー)を引けていない状態です。



この境界線越えはほとんどの人が無意識にやっていると思います。


例えば、

・「私の言ったことで、あの人怒ってないかな。」と必要以上に相手の感情を気にする。
・一人暮らしのお母さんが寂しいだろうからと、無理して頻繁に実家に顔を出す。
・人の顔色を伺ってしまう。
・相手の気持ちを重視するあまり、自分の本音を言えない。
・気の進まないイベントだけど、嫌われるのが怖くて断れない。
・親の期待に応えようと頑張り過ぎる。
・求められていないのにアドバイスをする。

等々、挙げたらキリがありません。


この例を見ていると、「自分はどうしたいの?」と感じますよね。

結構なストレスだと思います。



この境界線越えは、幼い頃から培ってきた心のクセです。

特に、親が過干渉だったり支配的だったりすると、この境界線をうまく引けなくなってしまうようです。


私の親はこういうタイプではありません。

が、私が自分と向き合う過程で、親の感情のケアをしていたことが発覚しました。


我が家は至って普通の家庭でしたが、同居の祖父がちょっと気難しいこともあって、両親とも常に祖父の顔色を伺って萎縮していたようです。


あまり記憶にはありませんが、特に祖父が亡くなるまでは、温かくて安心できる環境だったとは言い難いと思います。これは私がそう感じていたというだけのことですが。

(祖父は私が6歳の時に亡くなりました。基本的にはいい祖父でしたよ。祖父なりに気を遣っていたようだし。)


この寒々しい環境は自分のせいだと思ってしまうのが子供なんです。私はそうでした。

そして、「周りの人を幸せにできない自分は無能で生きる価値がない」という思い込みまで作っていました。



だから、周りが幸せな気分になるように気を遣います。

他人のことばかりに気を取られて、自分が疎かになります。


生きづらいですよね。


なので、境界線は引いた方が生きやすくなります。

ただし、何が何でも引かなくてはいけないというわけでもありません。


シンプルに、自分の気分がいい方を選べばいいと思います。

境界線を越えても気分が良ければOKでしょう。


気分のいい方を選んで相手が気分を害したとしても、それは相手の問題です。本来は気にする必要ありません。


でも、どうしても他人の反応が気になる場合は、自分と向き合った方がいいに決まってます。何とかの一つ覚えのようになりますが。


今日のまとめです。

生きづらさの一つに心の境界線越えがあります。

これは無意識に発動しています。

まずは、境界線を意識することが生きづらさの解消に繋がります。




あなたの心と体の調整をお手伝いする

ゆんわりタッチとストレスクリア


長沼美恵(ながぬまみえ)