イヤだったら逃げていい時もあるさ。

自分で限界だと思ったら、逃げてもいいんじゃないかな。


特に学校。

本当にイヤだったら行かなくていいと思う。

歯を食いしばってでも行きたいというのなら、もちろんそれもあり。

どっちもあり。何でもあり。


人は、「しなければならない」と言われると、できなくなったりするもの。

どっちでもいいと言われると、「してもいいかな」と思えるんだそう。

面白い生き物です。

だからと言って、行く方を選ぶよう誘導しているわけではないよ。


しかし私、学校嫌いだったなあ。いじめられてたってわけでもないけど大嫌いだった。

だから、こんなこと書いてるのかもしれないけど。

行かなくていいと言われたら行かなかったかも。

それくらいイヤだった。苦痛だった。


最近は「逃げてもいい」と言ってくれる人が増えてきていいなあ。

昔は、我慢して行けという風潮だったような。良くなかった。

今はこんなサイトもあるし。>>学校に行きたくないあなたへ





もし、学校に行かないのなら自分と向き合ったり、やりたいことをとことんやったりしてもいいんじゃない?

まずは自分の気持ちを言葉にして、紙に書いていくことがいいかもね。


絵を描くのもいいかも。自分の思いを色にしたり形にする。難しいこと考えずに。

完成したら、それを眺めてその絵から何かを感じてみる。それをまた言葉にしてもいいと思う。


書く・描く時は、パソコンなど使わずに自分の手がおススメ。

ただの思いつきだけど。心理療法ってわけじゃないけど。

何かが降りてきたかも、笑。いやいや、それ程のことでもないわ。


一応、心の仕組みの勉強をしてきたから、この方法が悪くないことはわかる。

子供の頃、こういうことを教えてほしかったな。


新学期だからか、突然書きたくなったんだけど、子供だけじゃなく大人にも言えること。

これ、昔の自分に言ってあげたいのかもしれない。ああ、そうだ。






生きてちゃいけない人なんて一人もいないんだよね。

今存在してるってことは、この世に必要だから。人でも動物でも物でも何でも。

塵一つでも、この世には必要らしい。


昔はこの考えを実感できなかった。でも最近の私は、うまく説明できないけど何となくわかる。

みんな一つなんだから当たり前と言えば当たり前。


人に関して言えば、一つじゃない=区別するって、条件付きで人が人を判断するってこと。

人がレッテルを貼っていくから、どんどんみんな分けられていっちゃう。

人が人を要・不要と判断するって傲慢過ぎるよね。何様でしょう。

神様は、塵も人間も区別なんかするわけないと思うけど。


言語化難しいのでこの辺で失礼。



長沼美恵